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2020年 9月 13日 KAI Last Message ”南橘北枳”
皆さまごきげんよう、かいさんです。
ついにこの時が。
思わずいつもの書き出しにつまる。
これまで書き出しにはどこよりも、誰よりも力を入れてきた。
時間をどのパートよりも費やし、アイデアを出し、書いては消し、また書く。それがまた楽しい。
こうして紡いだ言葉たちが、僕の愛する生徒たちに届けられる。その感動というのは物理的に測定不能ではなかろうか。
そういう意味では、定期的に幸せをみんなにもらっていたのかもしれない。
やはり日々の幸せというのはどうしても認識するのが難しいらしい。
明日がやってくること、朝起きたら温かい朝ごはんが待っていること、そして早く家を出なさいといううるさい母親の声。みんなにとってどれもが代替不能な幸せなのかもしれない。
僕は一体何のために担任助手として存在し、役割を果たすための試行錯誤をしてきたのだろう。
たしかに自分のためでもある。自分が成長するチャンスは多く転がっているように僕は思う。
でも、何といっても生徒のみんな無しでは僕の仕事を振り返ることは出来ないだろう。
常に生徒のことを想ってやってきた。もっと言えば生徒のみんなのことだけを想ってやってきた。
なんと不器用な奴なのだろう。
しかしそれは果たして偽善という評価がなされるのか、疑問である。それに対してははっきりと書くが、見せかけでは全くない。
僕は教育が好きで、中高時代から教育に対して自分流のスタンスがあった。
理由はひとつ。学校が嫌いだったからだ。
人間というのは一様であると同時に個性的である。極めて矛盾にはらむ動物なのである。
しかしその「個」を学校では重要視されず、ひどい場合、悪、とされる。
恐らくみんなが通う学校のほとんどがそうだと思う。
だから、僕が僕自身を資本として新たな教育というのをみんなに見せてあげたかった。
こういう教わり方もある、という。
少しでも、かいさんと関われて良かった、そう思ってくれる人が居てくれるなら本望。
人生の中でこれほど誰かのことを想い、動く、という経験はなかなか出来るものではなかろう。
それを僕はやれた。
その気高さを知った。
それを教えてくれた生徒のみんなのことを誰よりも愛している自負がある。
そして感謝している。
生きるということは選択である。
これはよく僕がみんなに伝えている言葉だ。
何かを選択し、そして同時に捨てる。
選択したのならそこには責任が付随する。
その恐怖と希望をぜひ楽しんで生きていって欲しいと思う。
では、また会う日まで。
P.S. 僕が書いたブログの中でぜひもう一度読んで欲しいものを下にまとめておきます。
「国語の勉強法」
◉現代文
慶應義塾大学 総合政策学部 2年 福島 魁
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